過去の自分が、今の自分へ「妥協していないか!」

久しぶりに書こう。

過去に自分が作った文書なり、仕事の形跡なりに再会したとき、もし「この時は随分頑張っていたんだなあ」と思えたとしたら、それは実感したとおりに、過去の自分が頑張っていたことの表れであると同時に、今の自分が妥協している証拠でもある。

 高校はもう卒業式が終わり、来週は中学の卒業式だろう。大学も「卒業式」に相当する学位記授与式がある。コロナ禍になってから授与式が行われなかった。

 まだコロナ禍になる前、私は各学科の授与式を運営する部署(学生部)に所属していた。式の流れを会議で提案し、審議で決まった内容をあらためて文書化する。当日は司会をする。

 今年、コロナの情勢が少し緩和し、2年ぶりに対面の学科別授与式を行うことになった。大きな会場で儀式的な流れを終えた後、学科ごとに、一人一人の学生に証書を渡す。3年の間に学生部の担当者が別の人になっていた。今日、その人から、3年前の対面授与式にどんな準備をしたかと聞かれ、ちょっと文書ファイルを見てみる、と軽く答え、パソコンのファイルを2021、2020とさかのぼってみた。軽い気持ちで請け負ったが、部署が変わった時点でファイルのほとんどを消去していたらしい。その部署に8年もいたので、同じ部署になることはありえないと思ったのと、その部署の仕事自体を「もういい」と思ったのだろう。

 デスクトップのハードディスク、外付けハードディスク、USBメモリー、CDと色々な媒体を開いたが見つからなかった。依頼された相手に、「どうもデータを消去したらしい」と言ってから、もうちょっとだけ探すと告げた。

 もしかしてと、ダメ元で、当時のメール送信を調べてみた。2019年3月13日に該当するタイトルのメールがあった。

 「会議は3月15日ですが、それに先立ちまして資料を添付ファイルで送信します」と書いている。添付ファイルを開くと、3ページにわたる文書だった。1枚目に事務から送られてきた依頼文が書かれ、2枚目に学科としての原案、そして3枚目はシナリオだった。司会のセリフ、呼名のタイミング、名前を呼ばれた学生は一歩前に出る、など動きが書かれている。すぐにそのメールを依頼主に転送した。添付ファイルの文書をプリントアウトして紙媒体でも渡した。相手の一言「マジか」。

 長々と書いてしまったが、言いたいことはタイトルの通りだ。去年や過去と同じ仕事をするとき、ともすれば過去のファイルをそのまま使えばいいと判断しがちである。そのとき、無意識で自分は踏襲ではなく、妥協という堕落への転落を始めている。

 メールが見つかったことでいろいろ考えさせられた。会議の2日前に文書ファイルが送られるように準備していること、事前に文書を読んでもらうという姿勢、そして内容のていねいさ。3ページ分渡る文書が語りかけてくる「最近、妥協していないか」。

学校という環境は、春休みと称するが、本来のこの時期は、新年度を迎える準備の時期である。そのことを肝に銘じよう。

 読者のみなさん、最近、妥協していないか