tsasaki37kashiwaのブログ

札幌市立柏中学校3年7組ブログ

もし可能なら

来年、3年7組のみんなは50歳になる。そのときは盛大に祝おう、などと言っているが、では具体的にどういうことをするのかについて何もはっきりさせていない。

その上で最近、時々思いつくことがある。

柏中学校の校舎に行って、入らせてもらって何かする。もし可能なら。

現実的に考えると、こういうことの窓口は教頭先生だろう。電話して「校長先生お願いします」では不躾(ぶしつけ)だ。

まず自分が旧教員であることを伝える。昭和60年から平成2年まで勤務していました。

来年、50歳になる生徒たちがクラス会を開催することになりました。つきましては、あの頃とかわらない校舎に集うことを検討しています。学校にご迷惑のかからない範囲で、たとえば生徒のいない休日のある時間に校舎内を見学させていただけないでしょうか。といった低姿勢の導入でとっかかりをつける。

 私たちが使っていた3年7組の教室が何に使われているかわからない。普通教室ではないかもしれない。外から見る限り、学校自体は立て替えられていないから、あの頃を思い出せる程度に昔のままなのではないか。いや、内装はかなり新しくなっているかもしれない。

 3年7組の教室だったところに入られれば最高だが、それがかなわないにしても、柏中学校の校舎の中で少し、その場にいる人で話したい。まじめなことを。先日(7月12日)のクラス会で、宴の後半にICレコーダーを回して一人一言話してもらった。その中に「生きるってなんだろう」という言葉があった。それがずっと残っている。

 一人の発言の断片として流してしまわずに、落ち着いた状況で共有したい話題だ。50歳になろうとしている一人ひとりにとって、いろいろな視点から発言できるだろう。15歳のとき、生きていた。それは明らかだ。ではそのときと今では何がどう違うのだろう。

 オンラインのクラス会で「働くってなんだろう」と投げかけたことがある。参加者の一人が、オンラインクラス会が終わった後で、ご主人とその話題でひとしきり議論したという。それを聞いて、やはり大人はいいなと思った。まじめなテーマでまじめに話せる大人同士がまじめに話すことの意味は大きい。だから、「生きるって何だ」というテーマは、何事も真剣に取り組んできた3年7組が、50歳を祝う流れの一環で取り組むのにふさわしいテーマと言える。

 生きるって何だろうと議論するほどの時間をもらえるかどうかわからないが、来れる人だけでいいから、柏中学校の校舎に入るというプロジェクト(プログラム)がひっかかっている。

 

 

夏休み

8月13日、お盆である。みなさんいろんな立場(職業、職場の中での立場、社会的位置、家庭内の立場)にいるでしょうから、夏休みやお盆のもつ意味は同じではない。夏休みがある人もいれば、そうではない人もいる。それでは今を去ることおよそ35年前の中学生のころはどうだったか。8月13日は、まだ夏休みの終わりではなかった(人の感じ方による)。中学2年の頃を思い出すか3年の頃を思い出すかで、同じ気持ちではないのかもしれない。3年生なら、夏期講習の真っただ中だった人もいるだろう。受験生である。午前午後と志望校めざして受験対策をしていたのだろう。

 学校という職場しか経験していない私は、夏休みがあるのが当たり前の人生を過ごしてきた。民間企業に勤めたことがないので、届け出をして「休みを取る」という感覚がない。生徒(学生)が夏休みになって学校に来なくなったら自動的に自分も休みである。厳密には、生徒が休んでいる期間と全く同じ期間が休みではないが。

 世間一般よりも確実に、それなりの日数夏休みが取れる自分は、毎年充実した夏休みを過ごしてきたかと自問すると、毎年ビッグイベントではなかった気がする。たとえばハワイ(またはそれ以外の外国)に行ってバカンス、なんて無縁だった。思い出に残っている年とそうではない年に分けると、思い出に残っている年の方が少数だろう。

 その少数の夏休みを思い出すと、やはり浮かんでくるのは自分がまだ20代だった時の夏休みである。テーマはオートバイの旅、だった。スポーツバッグに適当に荷物を詰めて、オートバイの後部座席にくくりつけ、適当な計画で、初日の早朝に走り出す。行った先々で雨に当たると落ち込み、晴れると興奮する。腹が減ったら適当にどこかで止まって何か食う。これらの乱暴な旅が成立するのはスマホがないという自由さがあるからだ。

 あれは自分が27歳の夏、250㏄のオートバイで道東方面に旅に出たら、ことごとく天候に恵まれた。それより前のツーリングでは、必ずどこかで雨に当たった。その年のライディングノートの終わりに「一番のごちそうは天気だ」と書いた記憶がある。あのノートはどこにあるだろう。捨ててはいないだろうからどこかにある。(こういうところがずさんなのは決していいことではない。)カメラを持って行ったが、あまり撮っていない。理由は簡単で、写真を撮るより走っている方が大切な時間だったからだ。いい景色だなと思っても、写真を撮るために止まろうとはしなかった。ひたすら走るだけのツーリング、それでよかった。まさに若さだけでできたこと。

 事前に宿を決めていなかった。断片的に思い出すことを書き連ねよう。

帯広駅の敷地に金のない旅人のためにこんな宿があった。古い車両を改造したのだろう。座席が取り払われていて、床に畳が敷き詰められている。入り口で500円払うと、畳一畳のスペースが与えられる。一泊500円。それだけ、布団はなかった。夏だからいらなかったのか。とにかく一晩しのげればよかった。次の朝になったらまた走り出す。

明日が最後の日だと決めた晩にだけ、まともな宿に泊まることにした。事前予約などせず、ホテルの受付に行って、今晩泊まれますかと聞く。一人旅の気楽さだ。

 名産品のお土産、きれいな風景の写真、そういった形に残るものはなかったけれど、いまだにあの時の自分の若さがいとおしい。今の自分と同じ人間とは思えない。別人の佐々木智之のように思える。

 夏は、回顧の季節なのか。

 

 

2年ぶりのクラス会in 札幌

先週の金曜日、クラス会があった。2年ぶりである。2年前は朝日さんのお父さんの店「焼き鳥亭」にお世話になった。このクラスでは卒業以来何度も(おそらく大小を問わな刈れば軽く10回以上)クラス会を催しているが、必ず聞かれるのが「卒業以来だね」という再会である。30年以上あっていない人と人を再会させる場。なんと貴重な機会だろう。

 7時から始まった会はみんなで同じ話題を共有したり、それぞれの隣席にいる人同士の話になったりしながらあっという間に10時半を過ぎた。私はたまたまではなく、計画的にICレコーダーを持参してみんなの声をとっておこうと考えていた。会の終わりごろに「何か一言」といってレコーダーを渡したら、この会の主催者マッチから始まり、ヒー君、浜辺、窪田、髪林、小田(旧姓)、村端(旧姓)、川村が短いコメントをくれた。コメントは短いけれど、どの言葉も日を改めて音声を聞くと、心にしみてくる。

 会の中で、以前書いていたブログについて触れてくれた人がいた。それでこうして、久しぶりに書いている。LINEは即時性があって、便利だけれど、短いメッセージに限られる。古い人間の私は、長々と書く方が楽である。

 彼らはもうすぐ50歳になる。いろんな人生経験をしている。その彼らと35年前の教室のように真剣な話ができた。その意味が大きい。35年前も今も共通しているのは、真剣にその話題に向き合うという姿勢だ。

 彼らが中学生だった平成2年、日常生活と学校行事が1年の生活を形づくっていた。その中で、大小いろいろな出来事があった。硬い言い方をすると、課題である。タスクともいう。それらに直面した時どうするか。一つ一貫していたのが、きちんとやること、ちゃんとやることが正しいという価値観だ。この点に関して、当時の学校、教育はブレなかった。もう一つ。一生懸命やることが正しいというのも根底にあった。

 35年たった今も、連絡を取り合い、こういう行事に8人(クラスの5分の1)のメンバーが集まるのは、クラスとしてまとまろう、一つのことを協力し合ったやろう、というごくごく当たり前の社会性を身に着けていたからだろう。

 次に集まるのはいつか、なんてあいまいなことは考えていない。彼らが50歳になる来年だ。彼らは昭和50年と51年生まれ。(1975年、私は中学1年生だった。)50歳を祝うメインは2025年としよう。いわゆる社交辞令ではなく、本気で、来年は50歳突入祝いをすると宣言しよう。

2024年7月12日金曜日22:55 JR55ビル

 

過去の自分が、今の自分へ「妥協していないか!」

久しぶりに書こう。

過去に自分が作った文書なり、仕事の形跡なりに再会したとき、もし「この時は随分頑張っていたんだなあ」と思えたとしたら、それは実感したとおりに、過去の自分が頑張っていたことの表れであると同時に、今の自分が妥協している証拠でもある。

 高校はもう卒業式が終わり、来週は中学の卒業式だろう。大学も「卒業式」に相当する学位記授与式がある。コロナ禍になってから授与式が行われなかった。

 まだコロナ禍になる前、私は各学科の授与式を運営する部署(学生部)に所属していた。式の流れを会議で提案し、審議で決まった内容をあらためて文書化する。当日は司会をする。

 今年、コロナの情勢が少し緩和し、2年ぶりに対面の学科別授与式を行うことになった。大きな会場で儀式的な流れを終えた後、学科ごとに、一人一人の学生に証書を渡す。3年の間に学生部の担当者が別の人になっていた。今日、その人から、3年前の対面授与式にどんな準備をしたかと聞かれ、ちょっと文書ファイルを見てみる、と軽く答え、パソコンのファイルを2021、2020とさかのぼってみた。軽い気持ちで請け負ったが、部署が変わった時点でファイルのほとんどを消去していたらしい。その部署に8年もいたので、同じ部署になることはありえないと思ったのと、その部署の仕事自体を「もういい」と思ったのだろう。

 デスクトップのハードディスク、外付けハードディスク、USBメモリー、CDと色々な媒体を開いたが見つからなかった。依頼された相手に、「どうもデータを消去したらしい」と言ってから、もうちょっとだけ探すと告げた。

 もしかしてと、ダメ元で、当時のメール送信を調べてみた。2019年3月13日に該当するタイトルのメールがあった。

 「会議は3月15日ですが、それに先立ちまして資料を添付ファイルで送信します」と書いている。添付ファイルを開くと、3ページにわたる文書だった。1枚目に事務から送られてきた依頼文が書かれ、2枚目に学科としての原案、そして3枚目はシナリオだった。司会のセリフ、呼名のタイミング、名前を呼ばれた学生は一歩前に出る、など動きが書かれている。すぐにそのメールを依頼主に転送した。添付ファイルの文書をプリントアウトして紙媒体でも渡した。相手の一言「マジか」。

 長々と書いてしまったが、言いたいことはタイトルの通りだ。去年や過去と同じ仕事をするとき、ともすれば過去のファイルをそのまま使えばいいと判断しがちである。そのとき、無意識で自分は踏襲ではなく、妥協という堕落への転落を始めている。

 メールが見つかったことでいろいろ考えさせられた。会議の2日前に文書ファイルが送られるように準備していること、事前に文書を読んでもらうという姿勢、そして内容のていねいさ。3ページ分渡る文書が語りかけてくる「最近、妥協していないか」。

学校という環境は、春休みと称するが、本来のこの時期は、新年度を迎える準備の時期である。そのことを肝に銘じよう。

 読者のみなさん、最近、妥協していないか

私立高校入試

今日は北海道の私立高校入試1日目らしい。公共交通機関に乗ると、すぐに受験の中学生だなとわかる。それはもちろん、制服を着ていて、高校生より幼く見えるからだが、それ以外にも今日が受験の中学生だとわかるポイントがある。

それは、乗り物に慣れていない雰囲気が外に出ること。普段、公立の中学生は地域の学校に徒歩で通学する。だからバスや地下鉄に乗ることが、非日常のイベントである。そのため、たとえば地下鉄やバスが発車したとき、妙に振動に弱くて、転びそうになったりして焦る。なかには「わあっ」と声を出すものもいる。

 一人でいる場合と友達と一緒の場合ではまた雰囲気が違う。複数の場合、駅で待ち合わせすることもあるのだろう。待ち合わせ場所からにぎやかな生徒もいる。いずれにしても複数での移動だと、半ば遠足状態となる。一人ひとりがそわそわしてくる。乗り物に乗ってどこかに行くというだけで興奮しているようだ。

 そして次のステージ、乗車だ。地下鉄に乗ったとき、後の人のことを考えて中の方へ進むという、いわば公共交通機関利用者にはあたりまえの常識が彼らには身についていない。そのため、4人くらいで、入口のそばで、「輪」になる。私語をしているとそれに夢中になって自分たちが邪魔になっていることに気づかない。集団の中の誰かが背後の一般乗客に気づき、ほかのメンバーによけるように言うと、これはこれで珍しい出来事なので「あっ」と驚いたような反応をする。とにかく、一つ一つがすべてイベントである。それを客観的に観ているのは、それなりに面白い。

 32年ほど前の私立高校入試の日のことを、断片的に覚えている。(つづく)

 

寒さの感じ方

 最近の寒さは「記録的な寒波」という表現がふさわしい。特に毎朝の通勤時に外を歩くとき実感する。そして、乗り物に乗った時や建物に入った時に、暖房のありがたみを痛感する。

 北海道は寒い。しかし、屋内はとても温かいというのが特色だ。さすがに私は半袖Tシャツ短パン姿にはならないが・・・。

 屋外の寒さとはちょっと違った寒さを、屋内で感じることがある。ドアが開いたり閉じたりする場所があり、自分がそのドアから少し離れたところにいるときだ。端的に表現すると、「スース―する」。あれは北海道方言で言うと、実にあずましくない。建物の中にいるのに寒いというギャップが不満である。お店に入って飲食をしているときに、最初はきにならなかったが、しばらくしてスース―することに気づいたら、そのあとは落ち着かない。席を変えられる場合は移動する。

 ふと思ったが、柏中学校の教室で寒いと思った記憶はほとんどない。教室の暖房器具はそんなに強力ではなかった。人間が、しかも若者が40人もいるから、それだけで室温がある一定の高さに保たれていたのだろう。それに加えて、自分自身の年齢も若かったのと、教室にいるときは何かに集中していたから、寒さという雑念が入る余地がなかったのか。

 あれから何十年も経ち、十分に年をとって、寒さを感じやすくなった。屋内にいてもポカポカしていないと、寒さを感じる。しかし、ただ寒さに負けて車に乗ってばかりという安易な生活はしていない。北海道の冬はまだ長い。

朝のあいさつ

今日は3年7組に直接関係のあることが書ける。

いつもJR手稲駅を降りて勤務先までは安易にバスに乗らず、歩くことにしている。

今朝はとても寒かったので一度迷ったが、やはり歩くことにした。

途中の信号待ちで、向こうの方で同じように信号を待っている人の顔を見た。その人はマスクをしていない。そのおかげで、自分の記憶にある知人の顔のデータとの照合が加速した。窪田満さんだ。向こうもこちらに気づいた。私もマスクをしていなかった。

なかなか信号が青にならない。ほんの数秒なのだろうが、この時間が結構長く感じた。やっと青になり歩きだして近くなったところで、相手の「今年もよろしくお願いします」とこちらの「おはよう」が重なった。すれ違いながらの挨拶で、「またね」と言ったら「はい」と返ってきた。本当に短い時間の再会だった。そのあと私は、なぜか歩みを早め、小走りになった。路面の氷などを気にしてゆっくり歩くより、勢いをつけて走りたかった。

 もしお互いにマスクをしていたら、この出来事は起こらなかっただろう。

もしかすると、マスクをすることで本当は起こっているなつかしい人や知人との再会を気づかずにいるのかもしれない。

 そんなもったいないことにならないように、作ってでも人と会う機会を持つべきというのが今日の教訓か。